謙遜は言霊的に微妙
最近、自分を客観視できておらず、自分を過大評価して勘違いしてる滑稽な人間と思われたくないがために、とりあえず謙虚に発言して予防線を張るということをしました。
とりあえず謙虚にしておかないといけないという日本文化ちょっとめんどくさいですね。
というのは、私自身は自責と自己卑下が極端に強い人間なので、中身だけでなく、表向きまでも謙虚という言う名の自己卑下をしてしまうと、内面と外面のコンボでエネルギー的に低い波動に落ちてしまいます。
私みたいな人間こそ表向きだけでも本田圭佑さん風にした方がいいと思う。ガチで。
ただ一番、日本で生きるのに最適なのは、本当は結構自信あるけど、表向きは謙虚にして、謙遜して発言する。
これが日本で一番生きやすい生き方。
私の場合、中身もガチで自己卑下がひどいのに、表向きまで謙虚にしたらかなり色々エネルギー的にヤバイのです。
まあ実際、そうしてしまってるけど。
バランス的にマイナス(内面)×マイナス(外面)状態。
ちなみに欧米人はプラス(内面)×プラス(外面)の人が多そうだから、スピリチュアル観点からして、エネルギー的にこれが一番いいよね。
言霊の観点から言っても、日本でよくある「めっそうもございません。私なんて全然たいした人間じゃないんですよ」みたいな謙遜とか本当は言霊エネルギー的には悪でしかない。
本音を言うと、できれば私は内面の自己否定や自己卑下が強い分、外側では(対外的には)本当は、自分のことを過大評価も過小評価もせずに(大きくも見せず小さくも見せず)、ただただありのまま、ニュートラルに自分を扱い表現したいと思っているのです。
だけどやはり日本の対人関係のなかでは、自分ではニュートラルなつもりでも、端から見ると傲慢、勘違いに見えてやしないかついつい不安になってしまい、やはり嘘でも謙虚な体というか、自虐しとかないと居心地も悪いので色々窮屈です。
過去の職場に帰国子女の方がいて、その方は日本文化に染まっていないので、
「私はこれもできる、あれもできる」「こんなことくらい私にとっては簡単なこと」
「私はなんでもできちゃうから」「私は覚えが早いから」 みたいなのが口癖の方で、謙遜ということを一切しない方がいました。
「私はこれもできる、あれもできる」「こんなことくらい私にとっては簡単なこと」
「私はなんでもできちゃうから」「私は覚えが早いから」 みたいなのが口癖の方で、謙遜ということを一切しない方がいました。
日本文化にどっぷりな私は最初、アメリカナイズすぎて驚きましたが、日本文化的には少々、誤解されてしまいそうな面はあるにせよ、スピリチュアル的にも言霊の観点からしても、その自己肯定の姿勢は素晴らしい!と内心思いました。
日本気質どっぷりな私には真似はできないけども。
ただ一点、よっぽど本人に実力が備わってない限り、どうしても「いや、あんた言うほどでもないがな」、と思われやすく(見えやすく)なり、無駄に自分でハードルを上げてしまっているという難点はありますね。
実際、その本人も言ってることと実力が伴っていない感がありました。
いや、もしかしたら伴ってるのかもしれないけど(これまた微妙なライン)、自分アゲして言うことで周囲の目のハードルが無駄に上がってしまい、仮に実際できていたとしても「別に言うほどでもなくね」と思われやすくなって損な気もします。
逆に日本式に「私なんて全然ダメで何にもできなくて」と言いつつ、できてると元々ハードルを自分で下げてる分、周囲からは「なんだ意外と全然できてるじゃん」と、実際以上にできてるように見えやすいというのはありますよね。
でもやっぱりスピリチュアル的にも言霊的にもアメリカンな姿勢の方が良いとやっぱり思う。
ただどうしても自分で言うことで重複しますが、ハードル上がっちゃう問題は避けられないですね。
でも本当はハードル上げて見ちゃうこちらの日本的な意識の方に問題アリなのかもしれません。
ちなみに余談ですが、謙遜が日本での美徳と言われるように、自分アゲというかポジティブがアメリカでの美徳と聞いたことがあります。
だから本当は自分ではたいしてそう思ってなかったとしても「私ってすごい」「俺はできる」と建前上、言っとくのだとか。
それが美徳だから。
(ガセネタかもしれないけど)
アメリカでは本当は自信ない人でも建前上「私ってほんと素晴らしいの」って、とりあえずメンドイけど言っとくか(言っとかないと)やれやれ、みたいな感覚もあるのかな。知らんけど。
ハイハイ、私は素晴らしいですよっと。みたいな。
日本で言う、本当は全然そんなこと思ってないけど「もう私なんてほんとつまらない人間ですから!」のアメリカバージョンみたいな。
文化の違いって面白い。