過去にこだわる割に人に興味がなさすぎる
私は過去にこだわってしまうところがあって、特に過去の辛かった事、嫌だったことがなかなか忘れられなくて、手放さずに握りしめてしまうようなところがあります。
このブログでも何度も過去の出来事について、これでもかとしつこく書いてしまいます。
例えば過去に誰かに辛かったこと、嫌なことをされたとして、どうしてこんな辛い目に自分があってしまったのか、なぜこの人にこんな嫌なことをされたのか、その原因について考察、分析をして今後二度と同じような目に遭わないようにしようと、改善案について延々と考えてしまうようなところがあります。
分析しすぎて自己批判になることも度々です。
しかし、その出来事については良くも悪くも執着してしまうところがあるのですが、その自分を嫌な目に合わせた“相手のこと”についてはどうしても興味が持てないのです。
もちろん相手に嫌な目に遭わされたら、「辛い」「悲しい」「腹立つ」とかの相手に対する負の感情は湧き上がるのですが、そこまで持続せず、”さてこの事態をどうするか”“何が原因で自分がこんな目にあったのか”にすぐに関心がいってしまい、相手自体にどうしても興味と執着が持てないのです。
なので良い意味でも悪い意味でもいつまでも相手を恨むとかもないし、許せない!不幸になれ!と思うこともない。そもそも恨むほど興味が持てない。
相手が普段何を思って、何を感じて、何が好きか嫌いなのかも心底興味がない。
どうして相手との間にこういうことが起こってしまったのか、分析のために相手が何を思って何を感じているのかを考えることはもちろんあるけど、あくまで分析のためで、相手自体には何度も言いますが、心底興味がない。
でも相手は私に嫌がらせなり、嫌って構ってくるほど、ある意味私に興味があるわけで、なんでそこまで人に興味が持てるのかな、と逆に不思議に思います。
好きな人ならともかく。
私は嫌がらせするほど人に興味を持ったことがない。嫌いな人には他の人と同じように表面上はにこやかに接して、でも心は開かず、心の中では相手を無視して、いないものとして扱ってます(現実的には無視はしてないですよ。心の中でその存在を無視してるだけです)。
私のこういう相手に興味が持てないところが全然、人から理解されないところです。
むしろ「昔嫌がらせをしてきた相手のことを許せない。ずっと恨んでる」みたいな人の方が多くの人の共感を得られて、「許す許さないも何も、そもそも恨むほど相手自体に興味が持てない。自分がどうすれば良くなるか、正直自分のことしか興味が持てない」という私が(←お前、そういうとこやぞ)、全然人から理解されないのが解せないのです(笑)