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最近のマスクと学校事情から感じたこと

最近、ネットニュースを見ていたら、「コロナが5類に移行して、学校現場でも脱マスクを呼びかけているが、子供たちはマスクを外したがらない子が多い」という記事を読みました。




理由としては、「ずっとマスクをつけた生活をしていたので今更外すのは恥ずかしい」「マスクを外しているのは1軍の容姿が良い子ばかりで外しづらい空気がある」「自信がないので顔を見られたくない」などがあるそうです。




食事の時にマスクを外しても、顔を見られないように食べている子もいるのだとか。




このことに関して「子供の精神の発育に良くない」「まずは教師もマスクを外して積極的に学校現場での子供たちの脱マスク化をはかるべき」との見解が書いてありました。





確かに私もその通り、精神発育上、マスクをつけない学校生活に早く慣れていった方が良いと思います。




そう思う一方で、私がこのニュースを読んで一番に感じた本音は




「ずるい」「羨ましい」




でした。




このブログでも散々書いている通り、私は学生の頃、重度の醜形恐怖症で容姿によるいじめを受けていました。




だけど、私が学生の頃は、マスク文化はまだなくて、隠れ蓑にするマスクもなく、日々、容姿への誹謗中傷を受けながらも顔を晒して、一人で耐えながら、自殺しそうになりそうな心に必死で鞭打ちながら学校に通っていたわけです。




で、今の子ときたら、「顔を見られるのが恥ずかしい」「顔に自信がない」などを理由に(コロナはもう理由にできなくなったので)、マスクをつけたまま学校生活を送り、級友などにも素顔を晒さずに生活することを許されている。




マスクを着用することによって「ブス」「気持ち悪い顔」などという容姿への誹謗中傷をされるリスクを回避することができ、マスクで自分の心や身を守ることが公然と許可されている。





私の学生時代はマスクで自分を守ることができなかった、これが私がずるい!羨ましい!と感じてしまう理由です。





もちろん、こんな感情を今の子供達に感じるのはお門違いだし、子供達がコロナ禍のせいでマスク生活になり、どれだけ不自由を強いられて、かわいそうな学校生活を送ったと思ってんの?あんた馬鹿じゃないの?と思われても仕方ありません。




だけど私の癒やされていない傷ついたインナーチャイルドが、私はマスクで自分の心を守ることができなかった、顔を晒さずに学校生活を送ることが許されているなんて「ずるい」「羨ましい」と思ってしまうのも事実で、今までの私だったら、こんなことを思ってはダメ!子供達は好きでマスクをつけていたわけじゃないんだから!と自分を責めていたと思うのですが、今は許してあげようと思います。




最近、受け入れ難い自分の過去に寄り添い、過去を受け入れて、自分の中に湧き上がるどんな感情も許して肯定する練習をしているのです。





自分の闇を否定しているから、ずっと闇のままだということに気がつきました。





闇を受け入れて、肯定すればそれはもはや闇でなくなり、過去の行程、自分の感情全てを肯定することができれば、もっと生きやすくなるのではないでしょうか。





ネットニュースを見ながら、そんな練習をしている今日この頃です。




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醜形恐怖症