コロナとマスクと醜形恐怖症
今回の記事はただの妄想記事です。
昭和生まれの私の学生時代は今のようにマスクをしている人はいませんでした。
なので当たり前ですが、顔は何も隠すものがなく、日々、「ドブス」だ「気持ち悪い顔」などと容姿への誹謗中傷を受けながら学校に通っていたので、あの頃、今みたいにマスクがあったら、目元はまあバレるにしても顔の美醜を隠せるので、あんな誹謗中傷、罵詈雑言を受けなくてすんだのかなぁと妄想することがあります。(普通の思春期女子だったらメンタル崩壊してとっくに死んでると思う 笑)
最近、Yahooニュースで「コロナのせいで青春がなかった」みたいな記事があって、私はチラッとしかその記事を読んでないので、内容はうろ覚えですけど、コロナのせいで修学旅行などの各種イベントがなくなったりして、楽しいはずの青春時代がなかった的な内容だった気がするのですが、まあ普通の学生からしたら楽しいイベントをコロナで潰されて確かにそう思うよね、と思います。マスクなんて外して思いっきり青春したかったよね、って思います。
でも私は、コロナで大変な状況になられている方も沢山いるので、コロナ自体はもちろん歓迎してませんけど、学生のあの頃、今みたいにマスクの生活が普及していたなら、もっと自分の心を守れたかもしれない、と思ってしまいます。まあ、たらればの妄想なんですけどね。
現在、正直、私にとってマスクはコロナの感染予防対策もあるけど、マスクをすることで自分の表情を悟られないので、人と一定の距離を保つことができる一種のバリアの役目があるものとなっています。
仕事をしていた時もマスクをして人と接するのは、マスクをしてない時より、心の負担がやや軽減される気がします。
とりあえず目元だけ笑っておけばいいというか、顔全体でニコニコ営業スマイルしなくてすむから楽です。
中年の今は顔の美醜を隠したいからではなく、気疲れ対策でマスクをしている感じです。
気疲れ半端ないエンパスにとっては、マスクは人と一定の距離を保てるありがたい防御装備なのです。
話を戻すと、醜形恐怖症の人は、今のマスク生活のおかげで心が多少は守られている人も多いんじゃないかな〜と推察するんですけど、マスクという隠れ蓑があることで逆にその病理を深くしているのかも‥とも思うし、どっちなんだろう。