醜形恐怖症と勉強
私の経験ですが、醜形恐怖症になると頭の中がいつも自分の顔の悩みでいっぱいになるので、勉強に集中できなくなります。
私は15歳から醜形恐怖症を発症したのですが、高校は地元ではそこそこ偏差値の高い進学校に進学したのですが、高校時代は醜形恐怖症とそれによる希死念慮のため、全く勉強が手につかず、大学は高校よりかなり偏差値を落としたところへ進みました。
醜形恐怖症は学生の本分である勉強に集中できないばかりか、いつも自分の顔の悩みで頭がいっぱい、人に自分の顔を笑われるのではという恐怖から引きこもりがちになり、人間関係も捨ててきたというか、捨てざるを得なかったことから、私は若い頃、色々やるべきことを出来なかったことへの後悔が沢山あります。
例えば私が元々、勉強嫌いで、遊びまくっていたために勉強出来なかった、しなかった、とかならまあ納得できるのですが、勉強したいのに顔が気になってなかなか勉強に集中できず、結果、ものすごく真面目そうで、地味で全然遊んでなくて勉強できそうな見た目なのに、テストの点数はすこぶる悪い、真面目系クズ的な人間に仕上がっていました。
ただ勉強というのは結局、結果次第なので、「醜形恐怖症だったから」とかは単に言い訳に過ぎなくて、結局はそれも含めてこれが私の勉強の実力だったのだと思います。
醜形恐怖症じゃなかったら、自分の顔がこんなふうじゃなかったら、勉強も恋愛も友達関係ももっと積極的にすることができたのに、自分の顔のコンプレックスのせいでかなり機会損失をしてきて、人生が後悔に満ちている、こんなふうになっている人間は周りに自分しかいない、と被害妄想的になっていたのですが、この前あるYouTubeを見ていて考えが変わりました。
そのYouTubeは、とある30代の女性が自分の日常を配信している内容だったのですが、その女性の過去の話になって「自分は大学の頃、パニック障害で会食恐怖症だったので、飲み会や友達との食事が出来なくて、普通の友達付き合いが出来なかった。今、付き合っている友達はゼロです」という告白をしていて、私は一応、友達はゼロではないですが、自分と同じように抱えている心の病気で機会損失をしてきた人は、割と私が思っているよりいるのかもと思いました。
別に私のように醜形恐怖症ではないにしろ、若い頃、例えば摂食障害の人だったら、いつも頭の中が食べ物のことでいっぱい、とか会食恐怖の人だったら、いつ人と食事の機会があるか予期不安でいっぱいとかありそうですしね。
きっと人それぞれ、抱えている悩みの内容は違っても、それが原因で勉強や恋愛、友達付き合いなどがスムーズに出来なかった人って割と私以外にもいるのかも‥と思いました。
しかし、それも過去のこととして、今ここを生きる、いつでも前を向いて今ここからやり直していく、何度でも立ち上がって生きていくしかないのですよね。