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醜形恐怖症になる前の感覚を取り戻しつつある

私はいつから人生がおかしくなってしまったんだろうか。





時々、取り止めもなくこんな不毛なことを考えてしまう時があります。





あの頃から、あの時から、と思い当たることは沢山あるのですが、今となっては醜形恐怖症になっていない自分を想像できない、というか変な話ですが、ある種、長年連れ添った病気に対する愛着みたいな感じで、醜形恐怖症に対する愛着みたいなものもあったりするのです。





これだけ長い間、私と一心同体で過ごして生きてきた醜形恐怖症ですから、醜形恐怖症がない人生というのが想像できない、考えられないというか。あれだけ苦しかった醜形恐怖症なのに、執着しているみたいで矛盾していておかしな話ですよね。





でも、もし私が醜形恐怖症になっていなかったら、容姿コンプレックスも持っていないでしょうから、きっと子供がいる人生をなんの躊躇もなく選んで、母になって、老後は孫と会うのを楽しみに暮らす、ある種の女性の幸せの王道コースを望んでいたんだろうなぁと思います。





でもそういう人生が自分らしいかと考えると、なぜか??となってしまうのです。確かに誰からどう見ても幸せなんだろうけど、なんか自分がそういう人生を歩んでいるのがしっくりこない、それは自分じゃない感じがして違和感なのも事実なのです。





醜形恐怖症になっていなければ、と過去を悔恨するのも事実で、だけど醜形恐怖症になっていなかったら私じゃない、それくらい自分と最早一体化していて切り離せない、これなしに私を語れない、醜形恐怖症は私の人生の軌跡そのもの、と感じているのも事実なのです。





だけど、一つの魂の学びを終えて、もう醜形恐怖症は今の私には必要ない、今までの人生で色々な学びを与えてくれて、色々なことを教えてくれてありがとうと言って、執着せずにお別れしたいと思います。





そんな感覚が芽生えてきました。





そして、ある日鏡で自分の顔を見た時に、「醜形恐怖症になる前の感覚ってこんな感じだったっけ?」と、ふとそんな感覚が下りてきたのです。





なんのジャッジもなく自分の顔を眺めている感覚に気づきました。





ああ、小さい頃はこんな自然体な無の、ニュートラルな気持ちで鏡を見ていたんだなぁ、そんな感覚をふと思い出しました。





それは些細だけど穏やかで、忘れていた小さな幸せの感覚でした。






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醜形恐怖症