自分がどう思うかより正しいかどうかで判断してしまう
私が自分の気持ちを大事にできない要因として、私の場合、例えば何か腹が立つことがあったとして、自分が憤りや怒りを感じたとしても、すぐにこの怒りは妥当かどうか、これって冷静に考えて、客観的に見て、本当に腹立てること?この怒りはちゃんと正当性があるもの?なんか私の過剰反応だったり、思い上がりや思い違いだったりしない?などグルグル考えているうちに、当初の感じていた怒りを置き去りにしてしまうというか、自分がどう感じるかより、なんでも正しいかどうか、正解かどうかで判断してしまいます。
まあ、この世に“正しいこと”や”正解“なんて存在しないことは、一応頭ではわかってはいるのですが、それでももしアンケートをとったとしたら、少なくとも8割以上の人に「その怒りは妥当だよ」「あなたは間違ってないよ」と太鼓判を押してもらえるような選択というか、感情のチョイスをしないとなんだか落ち着かないというか、不安で安心できないのです。
こうやって自分がどう思うか、感じるかより、他人から見て正しいかどうか、正解かどうかをまず考えてしまうのって、アダルトチルドレンの特徴らしいですね。私なんかまさにって感じですわ。多分、小さい頃に親からことごとく自分が感じていることを叱責されたり、否定されて育ってきたからだと思う。
夫にこういう話をすると「客観的に見て正しいかどうかより自分がどう思うか、どう感じるかで考えればいいんだよ。そんなにあれこれ難しく考えなくていい」と言われますが、えっでもさあ社会人なら主観的に自分がどう思うかより、客観的に見て正しいかどうかで考えない?普通の人ってみんなそんなに感情的というか主観的にものを考えて普段生きてるの??と混乱してしまう。普通ってのがよくわからんわ‥。
‥って、私が自分の感じていることに自信が持てない、誰かに「あなたが感じていることは間違ってないよ。妥当な感情だよ」と、承認してもらわないと、不安でしょうがない、ちょっとでも感情のミスチョイスをしたら「あなたの感じ方は間違っている。あなたは自分本位だ。わがままだ」と、誰かに責められるのでは、と恐れている自分に気がつきました。