エンパスの鏡の人生
この世界は自分の心の投影であり、人間関係は自分と内なる自分との関係の投影である。
これはスピリチュアル的にはよく言われていることですが、エンパスはその特性から特に人の鏡となりやすく、出会う相手を自分の写し鏡として色々なことを学ばさせられる人生であり、かつ、相手から見ても自らが相手の写し鏡となって、出会う相手に学びを与える存在だと言われています。
一般的にエンパスのオーラは、繊細で純度の高いクリアな写し鏡のようになっており、相手のオーラをエンパスでない人より、反映しやすい状態になっていることからくるみたいです。
私自身もエンパスであることから、今までの人生の経験がとても色とりどりで、バラエティに富んでいました。
私はいつもこういう状況に陥ってしまう、とか、いつもこういうタイプの人と合わない、いつも同じことで悩んでしまう、とかの自分の人生でよくあるパターン化されたものもなくはないけど、どちらかというと、色々なことを経験して、ありとあらゆる最南端から最北端まで経験するというか(?)幅広く色々な立場やパターンを経験し、色々なことを言われる人生でした。
これは本当に同一人物に起こった出来事なの?みたいな両極端を経験する人生でした。
「あの人ほんとにバカだよね。頭悪いよね」「とても優秀で頭の良い人だよね。なんでも出来るし、なんでも知ってるよね」
「顔が超絶ブス。すごい気持ち悪い顔」「とても綺麗な人だよね」
「背、ちっさ!どチビじゃん!」「すらっとスタイルが良くて背が高く見えるね」
「あの人、ほんとみんなから嫌われてるよね。みんなから悪口言われてるよね」「誰とでも上手にコミュニケーション取れるよね、ほんと嫌味がなくて誰からも好かれる人だよね」
これは全て私が言われたことで、こういうことを色々言われる人生で、私自体は特に変わってないつもりなのですが、自分のイメージが固定しないというか、「私とは一体、なんなのだろうか」と、自問自答する人生でした。
でも、今にして思えば、これは私自身のことを純粋に言われているというよりは、相手が私を鏡として、実は相手自身のことを言っているのではないかと、エンパスな私は思うようになりました。
私自体がとてつもなくバカだったり、あるいは優秀なのではなく、結局、その時の相手の心を私が写し出していただけに過ぎないのではと思うのです。
自分自身のセルフイメージが悪い人というか、心がやさぐれている人から見ると、私はとてつもなく醜く悪い人間に見えるし、心が安定しているというか、自分自身をポジティブに受け入れている人が私を見ると、私はとてつもなくポジティブな面が際立った人間に見えるというか、結局、相手の心の状態をエンパスな私が鏡となって写し出していただけなんじゃないかと、今考えるとそう思います。
なんとなく人の鏡となって色々な人の人生を体験させられているというか、こんな私でも色々な立場の人の気持ちが少しですが、良くも悪くもわかるようになった気がします。
こうしてエンパスは人の鏡となりやすいことから、自分自身が何者かわからなくなったり、こういう極端な人生経験をしやすい人が多いのではないかと自分自身の経験から考察しています。
こうやって自分が一体、何者なのか見失いやすい人生でしたが、最近やっと、長い年月をかけて、本来の自分を取り戻しつつあるような感じがあります。
これに関してはまた言語化できたら書こうと思います。