自分の中の白を認める統合(2)
続きです。
こんな感じで、今までの私の人生は自分の中の見ないようにしていた部分、禁止していた部分を自分の中にもあると認めて、自分の一部として統合するという学びが多かったのです。
私は陰マスターというか、私はもう自分の中のどんな闇でも受け入れますよ?カルマどんと来い!みたいな感じで長らく過ごしていたんですけど、そういえば私は、必死で陰の部分を認める作業はしてきたけれど、気がついたら自分の中の陽の部分を認めることはしてこなかったということに気がつきました。
学びの盲点だったというか、え?そこ?みたいな。
他人の中に見るこんな長所は自分にはないと思い込んでいたけれど、今更ながら気がついたけれど、いや私の中にもその長所はあるし、あの人にできることは私にもできることだったと今更ながらホ・オポノポノを唱えるうちに気付かされたのです。
今まで自分の中の陰の部分にこれでもかと向き合わされる人生で、陰の部分にどっぷり浸りすぎて、陽の部分に背中を向けてきた私ですが、自分の中の白の部分も自分の一部として認める、こんな統合もあったのかと目から鱗です。
普通、一般的に“統合の学び“っていうと、陰の部分を自分の一部として認めるっていう学びだもんね。だって陽の部分は努力して自分の一部として認めようとわざわざしなくても、一般的に、地球の価値観的に良いとされている部分だから、普通自然と認めることができることが多いもんね。
こうして私は「今まで出会ってきた人の中に見た長所は私の長所でもあった。私も持っているものだった」と今更ながら気づき、冬の季節を幾度も乗り越える中で、いつの間にか色々なことができるようになっていた成長していた自分にも気がつきました。
あと話は変わりますが、目の前の出来事を通して、これは私の何が原因でこういうことになったのか?とか、この出来事は私へのどんなメッセージなの?と原因究明や問題探しに躍起にならなくてもいい。
ただ今までは自分の思考(エゴ)の声を聞いて、エゴで選択してきた人生を、今度はエゴではなく、愛で選び直すための機会が与えられただけなのだ、と感じました。
そしてそれでいいのです。