自分の中の白を認める統合(1)
最近、仕事を始めてHSPには自殺行為の長時間労働で、拘束時間は1日11時間で既に疲労困憊しています。
疲労とストレスと緊張で自律神経が乱れて、寝て起きてからも心臓の動悸がずっと続いています。救心飲みたい、救心‥。
偏った心と体と思考をゼロ地点まで戻すために、空いた時間にホ・オポノポノを無心に唱えていたら、ふっとある気づきがやってきました。
それは今まで私が出会ってきた色々な人たちの素敵な所や長所は、私の中にはない、私には程遠いもので、いつまで経っても私はその人たちのようにはなれないとずっと思っていたけれど、今まで出会ってきた人たちの私の憧れてやまない数々の長所は、実は全て私の中に既にあるものだったということに気づいたことでした。
あの人たちの長所は既に私の中にもあって、あの人たちにできることは、私にもできることだ、という感覚がホ・オポノポノを通してやってきました。
私がそう考えたのではなく、なぜかふとそう感じたのです。そういう感覚が突然、やってきたのです。
そしてその感覚は多分、真実であろうとも感じました。
なんか極めて尊大なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、根拠はないけど確かにそう感じたのです。
よく他人の良いところは自分の中にもあるものだからこそ、その部分に気づいたり、反応できるのだ的なことが言われますが、まさにそのことが思考ではなく、フィーリングというか直感を通してやってきた感じなのです。突然の気づきというか。
私の人生は今まで「自分の中の見ないようにしていた部分、禁止していた部分を自分の中にもあると認めて、自分の一部として統合する」という学びが多かったです。
陰陽マーク☯️は、白と黒で一つに成り立っていますが、私含め、人って白の部分は認めますが、黒の部分ってどうしても排除したがって、自分の一部として認めたがらない人が多いのです。
私は今まで、自分の中の陰の部分をこれでもかこれでもかというほど味あわされ、いやこれも私の一部なのだ、と嫌でも認めざるを得ない人生で、こうして少しずつ統合を果たしてきました。
例えるとすると、「あの人は人の悪口ばっかり言って嫌い」と思う人がいたとするじゃないですか。
でも、どうして自分がその“人の悪口ばかり言う人“に反応してしまうのかは、自分も人の悪口を言いたいけど我慢している(理由は人の目を気にしている、だったり、相手を傷つけたくないから、とか色々あると思いますが)とか、「私は絶対に人の悪口を言ってはならない」と私は〜してはならない!と社会通念上や、親や周り、宗教などの教えにより、自分が自分に対して禁止していることだからだったりします。私が私に対して禁止してやらないでいることを、他人が平気でやっているのが許せない!みたいな。
そういう時は自分の中が2つに分離している状態ですが、「私も(実際言うかどうかは置いといて)人の悪口言いたい時あるわ」と自分の中にもそう言う気持ちがあることを認めたり「私も(実際言うかどうかは置いといて)人の悪口を言っても良いんだ」と自分に許可を出す、自分の禁止事項を緩めることで、自分の中の陰の部分を排除や禁止するのではなく認めて受け入れることで、自分の中が統合されて、外側の“他人の悪口ばかり言う人“にいちいち反応しなくなります。
実際、自分が相手のように人の悪口ばかり言う人にはならなくてもいいけど、自分の心の中での禁止事項を緩めることで、あの人が悪い、ああいうことは悪いこと、とジャッジしなくなるということです。
そして相手自体は何も変わらなくても、自分が反応しなくなることで、生きやすくなります。色々な人がいて良い、と他人や自分、出来事をジャッジしない自分になり、他人や自分、出来事を許せるようになります。スピリチュアル的な統合とは多分こういうことなのだと思います。
自分の中の排除していた部分、禁止していた部分を認めて受け入れ、統合するということです。
地球は陰陽を味わう星なので、陰あってこその陽、陽あってこその陰であり、どちらも必要な要素なのです。
長くなったので続きます。