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対処に追われる人生

私がスピリチュアルかぶれであることが理由なのもあるけど、今までの人生、いつも何かの対処に追われるような人生だったと思います。




今は仕事をしていないせいか、外界との関わりが一切なく、凪のような日々を送っているのですが、また仕事を始めだしたら色々あるんだろうな‥。





「何かの対処に追われる」というのは、例えばまあ生きていると何かしら色々、ゴタゴタしたことがあるじゃないですか。





で、私はスピリチュアル的にかなり真面目なタイプなので「この出来事は私に何を学ばせようとしているのだろうか。ああ、この出来事は私に自己受容を促しているのね!もっと自己受容しなくっちゃ!」とか「この出来事は私の心の中のジャッジをなくすよう、きっと伝えているのねん!私が抱える固定観念の手放しを促しているのね!」みたいな、いつも次々と魂の宿題というか、課題を出される生徒のような感じで、必死でそれを解いていく、というか、こなしていくような人生だったな、と思います。





「起こる出来事は全て自分の鏡であり、何かを学ばせようとしている」





というのは、実際、本当にそうで、課題を与えられるたびに「ああ、もっと自分を大切にするようにこの出来事は教えてくれてるのね」みたいな気づきもいっぱいあるんですけど、なんかもうめんどいというか、この宿題やり続けるのに飽きたというか(笑)






ある霊能者の方に言われたことですが、私の守護霊が私に対して「この子はとても優秀で、今まで魂の課題をコツコツと何一つ間違えずにこなしてきた。今まで一つも解答を間違えたことがない」と、言われたことがあります。






私は魂的に優等生というか、出された魂の課題は全て(魂的に)正解の解答を出す優秀な生徒、と言った感じらしいです。





カルマの解消を留年することなく、コツコツと地道にこなして進級し続ける真面目な生徒といった感じでしょうか。うん、その自覚あるわ。






でも本音を言うと、自己受容、自己受容、もううるさいわ!もうええわ!みたいな(笑)





でも自己受容しないと、もっと自己受容するように諭されるような出来事が実際、外界に起こるというエンドレス感。





自己受容できていない、自分を許せていないが故に起こる数々の色々な問題。





でも神じゃないんだから、完璧な自己受容、自分への許しって無理じゃね?とも思う。





この宿題、いつまで解き続けるのだろうか、いつまでこの課題、出され続けるんだろうか。





もうよくね!?






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