内向型女、学校で暴力のターゲットになりやすかった話(3)
続きです。
暴力事件簿② K君の話
小学校の時にK君という知的障害の男子がいました。
K君は学習の大幅な遅れはありましたが、普段の会話や意思疎通は、問題なくできる子でした。
支援学級で、数コマは健常児の生徒とは別の授業を取ってはいましたが、それ以外はほとんどの時間を、健常児と同じ教室で、一緒に勉強して過ごしていました。
小学校生活の6年間、私はK君と同じクラスになることが多かったのですが、物心ついた時には、というか気がついたら、私はK君から叩かれたり、蹴られたりするようになっていました。
もちろん、私はK君に殴られるきっかけになったようなことは、何もしたことはありません。ただ廊下などですれ違った時や、教室で近くになった時に、K君から無言で通りすがりにいきなり叩かれたり、後ろから蹴ったりされたりしていました。
K君から「バーカバーカ」「死ね!」とかもよく言われました。
私はK君から色々、暴言を吐かれても「やめてよ!」というのが精一杯で、汚い言葉を言い返すことは性格上、できませんでした。
私以外にも暴力を受けている女子児童は数人いて、もちろんその子達もK君に叩かれるような原因はなく、その子達がK君に何かを言ったり、したりしたこともありません。
その小学校では、障害のある子をいじめたり、差別したりしてはいけないということは、低学年の頃から、結構徹底的に教育されていたと思います。
各学年は1組と2組の2クラスずつしかなく、小規模の呑気な田舎の牧歌的な小学校だったので、K君の障害のことを茶化したり、いじめたりする生徒は、表立っては誰もいなかったと思います。ただ私が知らなかっただけかもしれませんが。
でも、 K君は何もしていない無害な女子生徒たちを狙って、暴力をしてくるのです。
K君は勝てないと思うのか、男子のことだけは決して叩いたり、蹴ったりはしませんでした。かつ、女子の中でも気の強い子には絶対にそういうことはせず、ターゲットになっているのは私のように気が弱い女子たちばかりでした。
その気の弱い女子たちの中でも、最もK君からの被害に遭いやすかったのは、最弱の私でした。
体格の良いK君に叩かれたり蹴られたりするのは本当に痛いし、男子や気の強い女子には決してそういうことはせず、弱さを嗅ぎ付けて、私に標的を絞って暴力をしてくるK君のことを私も子供だったので、心の中で恨んでいました。
何度も女子たちみんなでK君からの暴力被害を先生に相談したりもしましたが「あの子はしょうがないから‥」みたいな感じで、あまり取り合ってはもらえませんでした。
最初の頃は黙って我慢していましたが、あまりにもK君からの暴力が続くので「痛い!やめてよ!」と言うようにはしましたが、K君からすると非力な私の反撃は、全然反撃になっていないようで、全く効果なしでした。
特にK君は背後から蹴ったり、殴ったりしてくることが多いので、私はいつもK君に背後を取られないように、身構えていなくてはならず、学校内でおちおち安心できない日々が続いていました。
K君からの暴力は小学校生活ずっと続きました。途中、クラスが分かれたりした時は平和でしたが、廊下などで会ったりすると、やはり100%の確率で蹴ったり叩いたりしてきます。
私はいつもK君とすれ違う時は怯えていました。怯えるから余計にやられるのかと思い、堂々としてもみても見透かされているのか、結局、暴力はされるし、反撃してもやってくるし、むしろK君は女子への暴力を楽しんでいるんじゃないかみたいにも思えてきて、全くなすすべがありませんでした。
私にとってK君はずっと憂鬱の種でした。頭の片隅にはいつもK君の存在がありました。
小学校の高学年になった時に、あまりにもK君の私含む一部の女子生徒への暴力行為が続くので、学校にK君のお母さんを呼んで、先生とK君のお母さんと、クラスの女子生徒たちとの間で、放課後、話し合いが行われることになりました。
その時、なぜかクラスの男子生徒たちは、その話し合いに出席していませんでした。なぜ男子は不参加だったのかは、理由はわかりません。偶然だったのか、意図的に先生やお母さんがそうしたのか、今となっては知るよしもありません。
その話し合いの時に、K君もいませんでした。
続きます。