原罪のような自己否定感
私はクリスチャンじゃないので、“原罪“の使い方、意味、間違ってたらすみません。最初にお断りしておきます。
最近、私がスピリチュアルリーディングを習っている、セラピストの先生から言われたことなんですけど、私の心の中に「自分はここに存在してはいけない。私の存在が誰かを傷つけてしまう。そして、私の言葉は誰かを傷つけてしまう。だから私は、私の考えを言ってはいけない」という思いがあるということを指摘されました。
このことを言われて、ハッと思い出したんですけど、数年前にも別の霊能者の方に、全く同じことを言われたことがあるのです。
私は、自己主張をするのが小さい頃から苦手ですが、そもそも人前で口数が少ないのは、内向型なので、生まれつきで、失言をしてしまった!とか、いらん事言っちゃった!言いすぎちゃった!みたいな、口での失敗は、他の人と比べると、多分ですけど自覚する限り、少ない方だと思うんですよね。
内向型HSPすぎて、あんまり自己主張もしないですし、でも意見を言うときはいつもじっくり考えてから慎重に、人の意見にできる限り合わせる、人の意見は絶対に否定しない。ということをモットーに小さい頃から生きてきたんで。
で、その霊能者が言うには“自分の存在や、自分の言葉が誰かを傷つけてしまう“という、思いというか記憶は、今世の体験からではなく、過去世の記憶からなんだそうです。
その時は、それを聞いて「ふーん、過去世の自分は相当口が悪かったのねぇ。だから反省して、今世はこんなに口が重くて、言葉に慎重なのね(人前ではね。ブログでは言いたい放題で違いますが。こっちが本性 笑)」くらいに思ってて、そう言われたことも、すっかり忘れてしまっていたのですが、最近、セラピストの先生から、この霊能者と全く同じことを言われて、ハッと考えさせられた、というわけです。
最近、職場のゴタゴタした悩みがあって、結局、その悩みの根本的な原因は「私はここに存在してはいけない。私の言葉は誰かを傷つけてしまうから、私は私の考えを言ってはいけない」という私の潜在意識からの記憶に、原因があるということを、指摘され、ああ、私にはこんな原罪みたいな自己否定感が、生まれた時からずっとあったんだ‥(全然、自覚なかったけど)となんか、唖然としたというか、そんな気持ちです。
過去世からの記憶なんで、そりゃ自覚できんわ。生まれた時からだもん。だけど、言われてみたら、心の奥底に、確かにそういう気持ちあるわ、と、とても納得したのです。
で、私は「今の職場は辛いけど、ここでスピリチュアル的に学ぶことがあるから、私はここにいる!この状況から学ばなくては!ここでカルマを解消するまでは、私はこの職場を絶対に辞められない。絶対、カルマを解消してやるんだ!」みたいな気合いが入っていたんですけど、結局、この考えも自分で自分の首を絞めているというか、私が勝手になんでも「学び」にしてしまっているそうです。
「学び学び」言っているから、“学び“が終わらないという、負のループに入っているそうです。
私に必要なのは“学び“ではなく「自分を認めること」そして「ポケモンゲットだぜ!!」のノリじゃないですけど「カルマを解消してやるぜ!絶対に!!✊」という力みを手放すことだそうです。私、どうしてもすぐにスピリチュアルマッチョになってしまうんですよね‥。
わー結局、「自分を認めること。自分を受け入れること。自分の存在を許すこと」ここに戻ってくるのね‥。