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自分と上手く付き合えない人は、周りと上手く付き合えない

相変わらず低空飛行な日々を送っています。





なんとなく職場の人と噛み合わない、モヤモヤとした感じが続いています。





周りと上手に付き合えない、というか側から見たら、特に問題なく日々を送っているように見えていると思いますが、心の中がとても疲弊している、毎日、気疲れで、ぐったりと疲れてしまう生活を送っているんですが、これは多分、私が私と上手く付き合えていないからなんだろうな、と感じています。






周りは自分の心の反映ですから、私が私と上手に付き合っていないから、その内面が外に反映されて、周りと上手く噛み合わない状況を引き起こしているんではないかな、と思いました。





自分と上手く付き合えないというのは、具体的に言うと、やはり私は私のことを否定しているんだな、ということです。




もっと細かく言うと、「私は私の感覚を否定している。私の感情を無視している」のだと思います。





私が私の心の声を無視して否定しているんだから、そりゃ、周りと上手くいくわけないよな、と思います。






例えば、職場に挨拶をしても、あまり返してくれない人がいるんですけど(毎回ではない)、こうされた時に私は、すごく嫌だというか、悲しい気持ちになって年甲斐もなく大ショックを受けて、傷ついてしまうんですけど、だけどすぐさま頭の中で「でも挨拶を返すか返さないのか決めるのは相手の自由だし」とか「私は挨拶を返さなくてもいいような人間、つまりその人にとってとても下に見られてるんだろうな‥」みたいな思考が働いて、どうしても自分の「悲しい!」「傷ついた!」という本音に蓋をして、「相手も根は悪い人じゃないし」とか「自分に挨拶を返す価値がないんだろうな」とか「挨拶は強要するものじゃないしね」とか思って、思考で本音を押さえつけてしまうところがあるんですけど、こういうところが、私が私を無視しているところなんだろうな、と思います。





相手には今まで通り、表面上、職場の人として、常識的に、普通に対応するとして、自分の中の「悲しい」「傷つく」という感情は認めてあげてもいいのかもしれない、と思いました。






というか、そうしないと、自分の気持ちにずっと蓋をしていると、それが結局、周りとの関係に反映するというか、自分自身と上手に付き合えない人は、周りとも上手く付き合えませんからね。






結局、挨拶を返されない、という状況を通して、「もっと自分の心の声を大事にしろよ」というか「自分の感情を、どんな感情でもジャッジや否定せずに認めて、全て自分の一部として統合する必要がある」ということを学ばさせられている気がします。







「自分の心の声を、ありのままに認める」






だけどこれがアダルトチルドレンで自己価値が低く、「なんでも全部自分が悪い」と思ってしまう自分にとっては、正直、すごく難しいんですわ。






どうしても「いやいや挨拶を返されないのは、自分に問題があるからだし」「私には挨拶を返す価値がないからしょうがない」「相手は根は悪い人じゃないし」「むしろ相手じゃなくて自分に問題がないか、省みるべきだし」みたいな自己否定の思考の声が大きすぎるんですわ。





ただ、「悲しい」「傷ついた」と思った、自分の気持ちをそのまま認める。これだけのことなんですけど、いやいやいや‥と上記の思考が邪魔をして、そのまま、ありのままの自分の感情を認めるってことがめちゃくちゃ難しいんですよ。私にとってはね。





はあ、この学び、しんどい‥‥。





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