自己受容の旅
小さい頃からずっと、自分のことをダメだダメだ自分なんて、と思ったり、何かいつも自分が悪い、何でも自分のせいなんじゃないか、と謎の罪悪感と、自分への攻撃性をずっと抱えて生きてきましたが、全て自分の悪い思い込みだったな‥と最近、しみじみ思うようになりました。
考えてみれば、世の中のほとんどの人が、良くも悪くも、思い込みで生きてるのではないでしょうか。
私はどうやら悪い方の自分への思い込みで、人生の多くを過ごしてきてしまったようです。
「私は誰がなんと言おうと、どういう私であっても、絶対的に価値のある人間である。私は私を絶対的に信じている」
真の意味で、心の底からこうやって、自分を絶対的に受け入れて、信じることができれば、もう輪廻転生のゲームはこれで終わり、これがもはや悟りみたいなものなんじゃないでしょうか。
これは例えば、全然、実力のない人が「自分は優秀!自分は誰よりもできる!自分は素晴らしい!」とか、普通の容姿の人が「私はクレオパトラよりも美しい人間だ!私はなんて美しいんだ!」と、現実がただ見えていないだけだったり、または無理矢理、思い込んだり、他人を見下して傲慢になったりする勘違いな自分賛美のことではなく、ただただ、どんな自分でもよい、人に褒められるような自分じゃなくても、どんな自分でも、私はただ生きているだけで価値がある、と静かに、でも強く、心の底から、ただそう思えるような心境のことです。
上記の「私は絶対的に価値のある人間である」という、そういう確固たる境地まではまだまだですが、最近、というか少し前から、私は私でいいんだな‥と思うように、思えるようになりました。
少し前に、明け方近くの微睡の中で、「ずっと前から私は私でよかったのに‥」と、自分の呟くような声が、夢の中で聞こえました。
(変な表現ですが、夢の中で自分の呟きがどこからともなく聞こえた‥という感じです)
起きてからも、その声を覚えていて、確かにずっと昔から、というか生まれた時から、私は私でよかったんだよなぁ、本当はね‥と思いました。
いつからか、気がついた時には、私は私ではダメだ、私はこのままでは誰にも受け入れられない価値のない人間なんだから、私以外の何かにならなくては!とずっと思っていました。
自分が自分でいてはいけないような、いつも何かに急き立てられるな気持ちと、責められているような気持ち、安心感のない気持ちで生きてきました。
だけど、長い人生の紆余曲折を経て、最近、やっと私は私でいいのだ‥‥と静かに思えるようになりました。
私は私でいい、こういうマインドで小さい頃から暮らしていたら、地味で平凡だけど、普通に楽しい人生を若い頃から過ごしてこられたのではないかと悔やまれる部分もあるのですが、こういう課題を結局は自分が生まれる前に、自分で設定してきたと思うので、自作自演というか、自業自得というか、まあ、仕方のない部分もあるのでしょう。
自分が自分を責めていた時は、自分の周りの世界も、自分の内的世界を映し出すかのように、攻撃的で安心できない世界が広がっていたのですけど、自分が自分に優しくなると、周りの環境も優しくなるということに気づきました。
ブログタイトルの「カモミールの旅」は人生の旅であり、自己受容の旅のことでもあります。
私の旅はまだまだ続きます。