一番悲しいこと、辛いこと
前の職場で、人間関係の問題に悩んだ時に、怒り狂う相手を見て、自分の中にも同じ抑圧していた怒りがあったことに気づき、その怒りを癒して、昇華させたあたりから、心の中がクリアになったというか、前よりも直感が冴えるようになった気がします。
例えると、心の中の水の濁りがなくなって、透明に近づいた気がします。
あの抑圧していた怒りを昇華させることで、人間関係の問題を解決に導き、退職した後から、なぜか数字のぞろ目を沢山見るようになりました。
特に1111とか111です。
抽象的というか、あくまで自分の感覚なのですが、その頃から直感の精度が上がった気がします。
そして、心の中の抑圧していた怒りの昇華が終わって、次の課題はいよいよ自己受容というか、佳境に入った気がします。
いや、自己受容の課題は、今までも取り組んでたじゃん、と思うかもしれませんが、抑圧していた感情が、チリやゴミのように、潜在意識に蓄積していて、それを片付ける(昇華させる)まで、今思うと、実際には、本格的に自己受容の課題に辿り着けていなかったような気がします。
少し前の記事(何度も夢に出てくる人)に書いた、大学時代の同級生が、ここ最近も相変わらず、連日、夢に出てきていたのですが、もー何なん?、未練も何ももうないよー、なんでまだ出てくるのー、と目が覚めると、正直、うんざりして思っていたのです。
表面的な夢の解釈をしたとすると、「私はこの同級生に実は今でも未練がある。だから夢に出てくる」ということになるのかもしれませんが、ふと、単純にそれだけではないんではないか‥と気づいたのです。
あの人個人がどうこうというより、あの人は、その頃の、その時の私の悲しみの象徴なのではないかと。
あの人とセットで思い出す感情は、あの頃、私は私を受け入れることができなかった。今よりももっと、自分が自分自身を拒絶していた。
そして、それを皮切りに思い出す、さらに昔の悲しみの記憶と感情。
私が本当に辛かったのは、いじめられたこととか、人から卑しめられたり、対外的に上手くいかなくて傷ついたあれこれのことではない。
一番辛かったあの時、あの頃、自分が自分の味方ではなかったこと、自分が自分を完全に見放していたことが一番悲しい。
あの頃、自分でさえ自分を完全に見捨てていた。自分で自分を明け渡していた。私の中は完全に空だった。
本当に一番、辛くて悲しかったことは、私が私を、受け入れることができなかったこと‥‥。
あの人の夢は、あの頃を思い出し、そして最終的に、あの一番の悲しみに直結する。
あの人は私の中にまだ眠っているこの悲しみの象徴。
だから、あの人は、この悲しみを癒すのを促すために、私が自分を許すために夢に登場してきてくれているのかもしれません。
だから、私の自己受容が完結するとき、やっともう夢には出てこなくなるのかもしれません。