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投影が過ぎる

この世は全て投影で成り立っていると言いますが、確かに目に映るもの全ては自分の心の中の投影だなと思います。





 でも人は私含め、ほとんどの人がスクリーンに映るその投影に、リアルさを感じ、ついついその投影に巻き込まれ、振り回されてしまうものなんですよね。





 状況や相手に、ただ自分の心の影が映っているだけなのに、ついついその状況や相手に主導権を明け渡し、振り回されてしまうんですよね…。 





 先日、職場で社員から理不尽なことを言われて、自分の意見を全く聞いてもらえないという状況がありました。 





 その理不尽さは例えると、"カラスはピンク色だから!"と、言われているくらい傍から見ても理不尽で、
「うっそーん。マジか。カラスはどう考えても黒色だろ。ちょっと頭大丈夫かな?」
と、かなり困惑し、内心、怒りも正直沸いてきたのです。





 夫に話しても、いや橙の考えが一般的で、相手の考えがどう考えてもおかしいだろ、とは言ってました。 




 しかし、自分のパートという立場を重々わきまえている私は、 
「カラスはずっと黒色だと思っていました。すみませんでした。ピンク色ですね(^^)わかりました。これからそうします」 
と、その場をおさめて相手もそれで一応、納得しました。 





 家に帰って、なんで私はどう考えてもこんな頭のおかしい理不尽な状況に置かれたんだ?と冷静に考えてみました。 





 「カラスはこうこうこういう理由で黒色だと思うのですが…」
 と、一応、低姿勢に自分の意見を言ってみたりもしましたが、全く聞いてもらえなかったし。 





 しかし、やはりただの投影でした。 





 そういえば、私は私に対してずっと理不尽なことをしてたし、言ってたし、自分のインナーチャイルドがどんなに泣きながら辛い気持ちを訴えても聞く耳も持たなかったしね。





 あーあ、自分が自分に普段してることが、そのまんま相手に投影されてるだけじゃん、と。
 





結局、このオチかよ、と。 





何回、このオチ、ブログに書くんだよ、といつも読んでくださっている方はうんざりかもしれませんね(^_^;)





 現に、インナーチャイルドが、
 "カラスは黒色に決まってんだろ!相手がどう考えても理不尽でおかしいだろ。もっと自分の気持を大事にしてよ!" 
と、言ってるのにその口をふさいで、 
「そうですよね。カラスはピンク色ですよね。私が間違ってました。すみません」
 と、ニッコリだもん。 





 まさにそういうとこやぞ、というね。 





 でね、今の職場でメインで私の心が投影される役をやってくれている社員さんがいるのです。





 今までの記事で書いたように、その社員さんは過去世の私を投影してくれたり、威圧的だった姉を投影してくれたり、上記のように、理不尽な発言をして、私が内なる私にパワハラをしていることを投影してくれたりして、日々、私の投影役を頑張ってしてくれて、大活躍してくれてる社員さんなのです(笑) 





 でね、実はここからが本題なんですけど、その社員さんは私の投影役を日々、してくれて、私にとっては気づきを与えてくれる、ある意味、メリットというか意味のある存在じゃないですか。 





 ただ、その社員さんからみて私って何?というか、スピリチュアル的にみて他人の、私の投影役をするのってその社員さんにとって何のメリットが…と、思ってしまうのです。 





 いや、メリットとかそういうのじゃないのだとは思いますが、他人の投影役をするスピリチュアル的な意味ってなんだろう?と、素朴に疑問に思ったのです。





 相手に気づきを与えるお役目的な感じなのかな。





 言い方ディスってる感じに聞こえたらすみませんけど、ある種、逆にその社員さん、私の意識に操られすぎじゃね?と思えてきました。逆に。 





 私の投影ばっかしてて、あなたの意志はどこにあるの?と、逆に心配になってきました。





私の投影役をやるために“カラスはピンク色”とか、そんな傍から見てもおかしな発言、したくもないだろうに‥。





私が相手に振り回されているようでいて、実は相手が私の意識に影響されすぎている的な。





ホイホイ私の投影役やってるくらいだから、相手はかなり私に影響されやすいよね。





 そういえばこういう気持ちになったことは実はこれが初めてではなくて、高校生の頃にも
「周りの人、みんな私の意識に操られすぎじゃね?」 
と、思っていたことがあるのです。 





周りの人がこぞって私の心の投影役をやるのでね。





 頭が沸いてるのは、こんなことを密かに考えている私の方かもしれませんね。






祈りと冷蔵庫の故障

ここ最近、

「私の中の私が真に癒されますように」

と、祈るような気持ちでホ・オポノポノを唱え続けていたら、数日前から予兆はありましたが、ついに自宅の冷蔵庫が壊れました。






人間の波動と電化製品は共鳴しやすいとスピリチュアル的にはよく言いますが、私の波動がホ・オポノポノにより変化し、新しく変わったことにより、古い冷蔵庫との波動が合わなくなり、故障したようにも思います。






冷蔵庫のような大物の家電が壊れるとは、これから起こる大きな変化の前触れな気がします。





私は今までも魂の小さな死と再生を何度も繰り返してきましたが、今回の変化はもしかしたら、今までの人生とは大きく舵を切り方向転換するような、人生のターニングポイントになるかもしれません。






連日唱えているホ・オポノポノの影響なのか、職場でも私にとってはちょっと嬉しいイレギュラーな出来事が起こったりとかして、祈りの効果というか、ホ・オポノポノの影響力をひしひし感じています。






あと、ああそうだった、自分はとても念が強いんだった、と今更ながら自覚しました。






とにかく、どうかどうか内なる私が真に癒されますように。







ある不気味な存在との今朝のやり取り

今朝、起きがけに完全に夢だったのか、変性意識状態だったのかはわかりませんが、耳元で何かが聞こえてきたので、なんだろうと耳を澄ませてみたら読経の声でした。





 よくよく聞いてみると、どうやら般若心経を唱えている低い男性の声でした。





 何となく不気味な雰囲気を漂わせており、波動が低そうな存在に感じました。





 私は夢うつつ状態で、「もしかして怖がらせようと思ってわざとやってる?」と思い、バカにしたようにふっと笑ってしまいました。 





 そうしたらその読経の声の主がなにやら文句というか、怒ったように何かを言ってきた(何て言われたかは覚えてない)ので、私の必殺技を出してやりました。 





 ホ・オポノポノの簡易バージョン(4つの言葉のうち、“ごめんなさい”、“許してください”を省略したバージョン)の 
「ありがとう、愛しています」
を繰り返し、私自身とその声の主に向かって、唱えてやりました。






(相手より前にまずは内なる自分自身に向かって唱えるのが1番のポイント!
その次に相手に対しても唱える。
この現象は内なる自分自身の記憶が見せている現象だから、まずは自分自身をクリーニング!)





 そうしたら、その声の主は「"愛してます"は強い言葉だなぁ」みたいなことをブツブツ言って、苦笑しながら消えて行きました。





 以前にもホ・オポノポノで、金縛りを解いたり、幽界層の不気味な存在たちを撃退(というかクリーニング)したことがあるので、ホ・オポノポノの四つの言葉の中でも特に
"ありがとう"、"愛しています"
の言霊は特別というか、何らかの効力はあると実感しています。





 というか、怖がらせようと思ってやってきた向こうもいきなり「ありがとう。愛しています」と予想外のことを言われて、ドン引きしている可能性もある(笑) 





 今朝の相手も苦笑いしてたし。 





 そんな今朝のやり取りでした。(どんなやり取りだよ)





〈関連記事〉









姉との関係とインナーチャイルド

全て私だった(1)(2)(3)の後日談になります。





最近、新しく入った職場は女性が多い職場なのですが、自分以外の女性はまあ見事に全員はっきりした性格の女性ばかりで、最初はきつめの物言いに面食らっていたのですが、全部自分の投影だったことに気づいて、冷静さを取り戻し、今は色々、日々感情の波はありつつ、ぼちぼちなんとかやっています。





このね、自分以外全員はっきりした物言いの女性ばかりを周りに取り揃えるのが、いよいよ自分のインナーチャイルドが本気出してきたぜ、と思ったんですよね。






こういう投影を私に見させることによって

「人にはきつい態度を取ってはならない」

「自分を下げて相手は立てないといけない」

「相手のプライドに配慮して言い方には気をつけないといけない」

「自分はこういうキツイ女性であってはならない」

と、自分に制限をかけ、自分が他人にそういうはっきりした物言いやキツイ態度を取ることを自分に絶対許さない、という観念を持っていることを私に気づかせる。





そして
お前は黙っとけよ」「余計なこと言うなよ」
と、自分のインナーチャイルドを牽制して、言いたいことを言うことも許さず、インナーチャイルドの言い分さえ聞かずに長年我慢ばかりさせてきた。





このことを私のインナーチャイルドはこういう環境に私を配置させることで気づかせたかったのですよね。





周りにばかり気を使って私(インナーチャイルド)に我慢ばかりさせて、人には言いたい放題させることを許して、私には言い分さえも聞いてくれず、いつも口封じさせる、と。






言いたいことを言うことは決していけないことではない、自分に正直に時には人にキツイ態度をとっても良い、はっきりものを言っても良いし、自分も相手もそうしていい。





そして私(インナーチャイルド)の言い分もちゃんと聞いて欲しいし、私の気持ちをもっと大事にしてほしい。





そうやって自分を殺さず、自分のすることも相手のすることも許して制限をかけず、自分も相手も尊重して生きていってほしい、とインナーチャイルドは私に言いたかったんだよね‥。






私が人に対して何も言えなくなってしまった原因は、霊能者の先生に見てもらったベトナムの過去世の影響もあるけど、今世のことで言うと、姉の影響があることに気づきました。






姉は機能不全の家庭環境の影響もあってか、普段は優しいところもあるのですが、小さい頃、一緒に暮らしていた時は、妹の私にきつくあたったり、威圧的に接することが多く、私は姉とのその上下関係のはっきりした関係性から、常に自分を下げて相手を立てないといけない、相手のプライドに配慮した物言いをしなくてはいけない、相手を常に尊重し相手に物申してはならない、という思い込みを作ってしまったのです。






それとずっと自分は社会不適合だと思っていたけど、よくよく冷静に考えてみると別に適合できていないわけではない、かなり無理はしているけど一応、社会に適合できている。





今の仕事に適性がないわけではないし、今までも出来なさすぎて困った、周りについていけない、ということはなかったです。





“あなたは社会不適合なのではなく、自分を殺して逆に社会や周りに過剰に適応しすぎている”と霊能者の先生に言われました。





というか、今までナチュラルに自分を殺しすぎていて、もうそれが常態化してたから、こういう環境に投げ込まれるまで自分のインナーチャイルドにここまで我慢させてる自覚がなかったわ‥。





毎度書いてるけどインナーチャイルドは掘れば掘るほど出てくるけど、誠実に一つ一つ向き合っていくしかない。





そんなことを考えている夜でした。






自分のキモさをひた隠しにしないといけない苦労

タイトルのことなんですけど、割と小さい頃からこういう苦労があったな、と思いました。





今でも現在進行形といえばそうですけど、子供の頃や10代の頃は特にこの自分のキモさを隠さなければ!と必死でした。





この私が持っているキモさは何かと言えば、“天真爛漫ではなく計算高いところ”です。




とりあえず、小さい頃から先の状況や相手に与える影響を考えて、何でも計算したり熟考してから発言したり行動するので、もう子供の天真爛漫さとは程遠い性格なんですよね。
子供の頃から。




自分がどう思うかではなく、相手がして欲しいことをする、言って欲しいことを言うという、アダルトチルドレンの鑑のような人間ですからね。





で、こういう子供は同じ子供から見てなんかキモいんですよね(笑)





嘘くさい、計算高い、何考えてるかわからない。本音がわからない人。何かを隠している、と。




よく言われましたわ~。





というか、大人になった今でも、もしかしたらまだ周りからそう思われてるかもだけど、もう周りも大人だから誰も指摘してこないだけというか😅





普通、後先考えず天真爛漫に行動したり発言したりするのが子供のデフォルトなのに、私みたいな子供がいたら確かにキモいし浮くよねっていう。





で、私は若い頃、この自分のキモさ(=計算高さ)がバレないように、自分の中で精一杯、天真爛漫なフリをして一生懸命、自分のキモさをひた隠しにしてきたつもりなのですが、勘の良い人にはバレてたという。





やっぱ人間はエネルギーに敏感だから、フリをしていても結局、放っているエネルギーで違和感というか、本性はバレるだよね。





例えばよく後先考えず人が傷つくようなことをポンポン言う人は嫌われるけど、それは表面的な嫌われ方であって、あくまでライトな嫌われ方で、実際、人から本能的に嫌われるのは良い人のふりしたこういう嘘くさい人なんだよね。





人は本音がわからない人が本能的に怖いし嫌いなんだと思う。





もう少し例えると、謝るのが苦手で人に頭を下げることができない人は表面的にライトに人から嫌われるけど、人が本能的に嫌悪感を感じるのは実は謝りすぎる人なんですよね。





人は他人を尊重しない人より自分自身を尊重しない人の方が本能的に嫌いなんだと思います。




こういう感じで、一見、良い人なんだけど本能的に人が嫌悪感を感じる部分を隠し持つ私は、ずっと自分のこういうキモいところを隠さなければ!バレたらやばい!と身構えていた人生でした。





なんか暗い記事になってしまいましたが、ただふと浮かんできた思いなので、備忘録として記しておきます。